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神戸地方裁判所姫路支部 昭和60年(ワ)609号 判決

原告 魚住せつ ほか一一四名

被告 国

代理人 河村吉晃 岩倉毅 小笠原正喜 松村雅司 佐藤明 宇野一功 北村博昭 辻井成夫 ほか四名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告らに対し、それぞれ金三万円を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文第一、二項と同旨。

2  仮執行宣言が付された場合、担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  内閣総理大臣中曽根康弘(以下「中曽根総理」という。)の靖国神社公式参拝

(一) 中曽根総理は、昭和六〇年八月一五日、内閣総理大臣の公的資格で靖国神社に参拝した(以下、この参拝を「本件公式参拝」という)。

(二) 中曽根総理は、右参拝に際して公用車を使用し、藤波官房長官と増岡厚生大臣が公務として随行した。

(三) 中曽根総理は、靖国神社に到着後、拝殿で「内閣総理大臣中曽根康弘」と記帳し、続いて本殿に至り、内陣に向って直立し、黙祷のうえ、深く一礼して退出した。

(四) 祭壇には、「内閣総理大臣中曽根康弘」と表示された生花一対が供えられ、中曽根総理は、公費から支出された金三万円を、「供花料」の名目で靖国神社に納めた。

(五) 参拝後、中曽根総理は、本件公式参拝について、「内閣総理大臣の資格で参拝した。いわゆる公的参拝である。」と明言した。

2  本件公式参拝の違憲性

(一) 靖国神社参拝の宗教的性格

(1) 靖国神社は、宗教法人法に定められた単立の宗教法人であるが、明治維新前後以来の戦没者を神として崇め、これに対する畏敬崇拝の念を表する儀式を国家神道の祭式に則って行ってきた団体である。

(2) また、靖国神社は戦後も、国家神道に由来する宗教的施設として残存し、歴史的意味も加わって戦前の軍国主義的性格を継承しているものである。

(3) 中曽根総理は、靖国神社において前記1(三)(四)掲記のとおりの要領で本件公式参拝を行ったものであるから、その宗教行為性は明白である。

(二) 憲法二〇条三項違反

(1) 憲法二〇条三項等が保障する政教分離の原則は、過去における我が国の国家と神道が結合して他宗教を圧迫したという歴史的沿革からして、国家と宗教との厳格かつ絶対的な分離を規制するものであり、したがって、同条項にいう「宗教的活動」とは宗教とかかわり合いを持つ一切の行為を指すものと解すべきであるから、行政府の長たる中曽根総理が公的資格で行った本件公式参拝は国家と宗教がかかわり合いを持つ宗教的活動として、憲法二〇条三項に違反する行為である。

(2) もっとも、津地鎮祭最高裁判決は、『政教分離の原則は、国家と宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものと認められる場合には許されないものであり、かつ、憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」とは、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものである』と判示している。

しかし仮にそうであったとしても、本件公式参拝は右の「宗教的活動」に該当する違憲な宗教行為である。

すなわち、本件公式参拝が、宗教行為の外形的側面を充足していることは、前述のとおりであるところ、津地鎮祭は宗教施設でない体育館建設現場で挙行されたものであるのに対し、本件は宗教施設たる靖国神社本殿での参拝であって、両者に対する一般人の宗教的評価は著しく相違し、本件公式参拝がさしたる宗教的意義のない慣習化した世俗的行事であるとは到底いいえないところである。この点、本件公式参拝行為が神社等の定めた方式に従ったいわゆる正式参拝であったか、あるいはこれを省略した略式参拝であったかといった形式により評価が左右されるものではなく、また、参拝の目的が戦没者追悼のためであったとしても、それは、追悼の目的を借りて宗教行為を行ったというものであって、その宗教行為性を否定する事由にはならない。また、本件公式参拝は、日本国憲法下において初めて行われたことでもあり、この点でも慣習化した世俗的行事とは到底いいえないし、内閣総理大臣が靖国神社だけに公式参拝したことは、同神社を別格に取扱い、同神社に特別な権威を付与するものであって、特定の宗教に対する援助、助成行為であり、反面において無神論者及び他宗徒を不当に差別したものである。したがって、本件公式参拝は憲法二〇条三項の違反する行為である。

(三) 憲法八九条、二〇条一項後段違反

本件公式参拝に際し、中曽根総理が公用車を使用し、供花料の名目で公費三万円を支出したことは、宗教団体等への公金の支出を禁止している憲法八九条、ひいては宗教団体に特権を与えることを禁止している憲法二〇条一項後段に違反する。なお、本件参拝における供花は、個人の葬儀における社交儀礼としての供花と宗教的意義において全く異質なものであり、したがって、供花料の支出は、法的には、国の補助金支出と同一の評価を受けるべきものである。

(四) 憲法二〇条一項前段違反

憲法二〇条一項前段が保障する信教の自由の中には、直接的な強制や弾圧にわたらなくとも、国家が特定の宗教を勧奨することによって間接的に干渉されることのない自由も含まれる。靖国神社の公式参拝をめぐっては、かねて国民の間に意見の対立が存したのに、中曽根総理があえて本件公式参拝に踏み切ったことは、行政府の長として、原告らの宗教上の信念及び主張を否定し、かつ、靖国神社参拝の正当性を公的に宣言して靖国神社という特定宗教を勧奨し、もって原告らの信教の自由を間接的に侵害したものであるから、本件公式参拝は憲法二〇条一項前段に違反する。

3  本件公式参拝についての中曽根総理の故意

中曽根総理は、従来、政府が違憲の疑いがあるとの理由で靖国神社の公式参拝を差し控えてきたにもかかわらず、昭和五九年七月一七日、私的諮問機関である靖国神社参拝問題懇談会(以下、「靖国懇」という。)を発足させ、昭和六〇年八月九日、靖国神社公的参拝について報告書の提出を受け、同報告書では、公式参拝の憲法適合性や玉串料等の公金支出、靖国神社の軍国主義的あるいは国家神道的系譜並びに信教の自由侵害等について一致した結論が示されず、むしろ原告ら国民の間では、靖国神社は国家神道の象徴であり、戦争を賛美し戦争を推進する精神的支柱としての役割を果してきたことは否定できず、公式参拝は政教分離原則と平和主義の根幹にかかわり、地鎮祭や遺族関係者の行う葬儀・法要とは同視できないとの考え方が存する旨の指摘がなされているのを熟知しながら、あえて本件公式参拝に踏み切り、原告らの精神的苦痛を認容した。

4  原告らに対する権利侵害

(一) 原告らの権利の法的根拠

(1) 信教の自由に対する侵害

前記2(四)で述べたように、憲法二〇条が保障する信教の自由の中には強制にわたらなくとも国家が特定の宗教を勧奨したりすることによって間接的に干渉されない自由をも含んでいる。

しかるに、本件公式参拝は、行政府の長たる中曽根総理が公用車を使用して公的に参拝し、かつ、公費から供花料を支出することによって、国家が靖国神社を別格に扱い、靖国神社に対して特別な権威を付与し、もって、原告らの有する信教の自由を間接的に侵害した違法な行為である。

(2) 宗教的人格権ないし宗教的プライバシー権に対する侵害

憲法一三条は、国民に対し、個人の尊重及び幸福追求の権利を保障しており、宗教上の領域においては、政教分離規定と相まって、「国家から介入されない自由で平穏な宗教上の権利」、すなわち宗教的人格権ないし宗教的プライバシー権(以下、一括して「宗教的人格権等」という。)を保障するものであって、原告ら国民は、何人にも干渉されない私的静謐の中で宗教的、あるいは無神論的思索を重ねることができる宗教上の心の平安を憲法上で保障され、これは、法的に保護を受ける利益に該当するものである。しかるに、本件公式参拝は、国家が宗教的活動を行ったことにより原告らの宗教上の心の平安を踏みにじったものであって、原告らの宗教的人格権等を侵害する違法なものである。

(3) 政教分離の原則により保障された法的利益の侵害

憲法二〇条三項、八九条の保障する政教分離の原則は、原告らを含む国民に対し、公権力による宗教上の競争・批判の自由への不介入を宣明することにより、各自の宗教的自由を直接的に保障しているものであって、これも一つの精神的価値として、宗教的人格権等の一側面をなすものである。

そうすると、本件公式参拝は、国家が政教分離規定に違反して靖国神社公式参拝の正当性を公的に宣言し、もって、政教分離の原則が保障する原告らの法的利益を侵害した違法な行為というべきである。しかも、靖国神社の公式参拝は、神として祀られた戦没者に対する参拝であり、単なる追悼ではないから、憲法前文に謳われた平和主義遵守義務にも違反し、中曽根総理による権限濫用であり、その違法性は大きい。

(二) 原告らの権利侵害の具体的内容

(1) 原告らの立場

原告らの一部は仏教(浄土真宗)の僧侶又はその信者であって、成仏こそが至高の目的であると見極め、神社参拝等は迷信であり、死ねば靖国神社で逢えるなどということは全く信じ難い話であり、靖国神社は為政者が戦功を賛えるための場所にすぎず、特定の戦没者を神とする信仰は鬼神信仰であるとして、国家神道を強く非難してきた。

また、原告らの他の一部は、キリスト教の牧師と信徒であって、聖書の教えの中にこそ真理がうたわれ、かつ、神は唯一神であると信じてきたものであり、したがって、靖国神社では、戦没者が神霊(神)とされること、戦没者に対しても階級がつけられ、又は、祀られることを認められない者(例えば戦災者や敵方将兵)がいるなど、死者に対しても差別があること及び人間によって造られた特定の施設に定住する神を認めていることから、右原告らは、全く靖国神社信仰には与することができないところである。

更に、その余の原告らの非宗教者(無神論者)であり、人間の死は物理的な現象であって、死後の世界を美化することは無意味であり、限りある生命をいかにいつくしみ全うするかを問題とし、したがって、「国の為に死ねば神になれる」などという信仰は、軍国主義・国家主義に奉仕するイデオロギーにすぎないと信じ、靖国神社がこれからも国家権力と結びつき、戦争を正当化しようとする宿命を有していることから、靖国神社と国家の結びつきを強く批判してきた。

以上のとおり、原告らは、いずれも靖国神社信仰(国家神道)を否定し、それぞれの信教の自由を享有してきたものである。

(2) 原告らの権利の侵害

原告らは、立場の相違はあれ、いずれも、国家が信仰の世界に踏み込んだり、特定の宗教宗派の教理を支持したりすることは絶対にないと信じ、心の平安を保持してきた。

しかるに、本件公式参拝は国家が公然と靖国神社信仰の正当性を宣言したものであって、原告らは、各自の信仰と心の平安(信教)を踏みにじられ、著しい精神的苦痛を受けた。

5  責任

被告は、国家賠償法(以下「国賠法」という。)一条によって、公権力の行使にあたる国家公務員が、その職務を行うについて故意に違法に他人に損害を与えたときは、これを賠償する責任がある。本件公式参拝は、行政府の長たる中曽根総理が、内閣総理大臣として憲法を尊重擁護し、(憲法九九条)、かつ平和主義の国家理念(憲法前文)のもとで戦争(戦没者)を賛美してはならない義務を有しながら、これに違反し公務としてなした違法な行為であり、その結果、原告らの法的利益を侵害したものであるから、被告は、中曽根総理の右行為によって生じた原告らの損害を賠償する義務がある。

6  損害額

本件公式参拝により原告らの受けた精神的損害は、少なく見積もってもそれぞれ金三万円を下るものではない。

よって、原告らは被告に対し、国賠法に基づき、それぞれ慰謝料金金三万円の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)ないし(三)の事実は認める。

2  同1(四)の事実のうち、「内閣総理大臣中曽根康弘」と表示された生花一対が本殿に配置されたこと、右供花の代金として公費から金三万円が支出されたことは認めるが、その余の事実は争う。

3  同1(五)の事実は認める。

4  同2(一)(1)の事実は認め、同(2)の事実は否認し、同(3)の主張は争う。

5  同2(二)の主張は争う。もっとも、いわゆる津地鎮祭最高裁判決(昭和五二年七月一三日言渡、民集三一巻四号五三三頁)の判示中に、原告ら引用の文言があることは認める。

6  同2(三)の事実のうち、本件公式参拝に際し、中曽根総理が公用車を使用し、供花の代金として公費から金三万円を支出したことは認めるが、その余の事実並びに主張は争う。

7  同2(四)の主張は争う。

8  同3の事実のうち、昭和五九年七月一七日に靖国懇が発足し、昭和六〇年八月九日に靖国懇から靖国神社公式参拝について報告書が提出されたことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。

9  同4ないし6の事実及び主張は争う。

三  被告の反論

1  本件公式参拝の性格

本件公式参拝は、国民や戦没者遺族の多くが靖国神社をわが国における戦没者追悼の中心的施設であって、靖国神社において総理その他の国務大臣による戦没者追悼の実施を強く望んでいるという事情を踏まえ、予め戦没者追悼という非宗教的目的で行うことを公にしたうえ、戦没者追悼にふさわしい方式により追悼の意を表わしたものである。

また、供花の代金三万円は、中曽根総理が靖国神社に対し、同金額の供花一対を花屋に注文して購入し、本殿に配置してもらいたい旨を依頼し、靖国神社がこの依頼に基づき花屋に支払うべき代金として、靖国神社に交付したものにすぎない。

2  本件公式参拝の合憲性について

(一) 原告らの、憲法二〇条三項違反の主張について

(1) まず、憲法二〇条三項等の政教分離規定は、いわゆる国家制度として憲法上具体化された規定であって、国民に対し直接信教の自由そのものを保障する規定ではなく、国家と宗教との分離(国家の非宗教性ないし宗教的中立)を制度化することにより、間接的に信教の自由を確保しようとするものである。

したがって、仮に政教分離規定の違反があったとしても、それは国家制度違反の問題となりうるにとどまり、それを超えて当然に信教の自由を侵害することにはならない。

(2) しかも、本件公式参拝は、その目的及び方式において専ら戦没者追悼という、宗教とは無関係に行われたものであって、全く宗教的意義を有せず、かつ、その効果においても、靖国神社(神社神道)に対する援助、助長、促進となり他宗教に対する圧迫、干渉となるような行為でもないから、本件公式参拝は国家が宗教上のかかわり合いを相当とされる限度を超えるものではなく、いずれにしても、本件公式参拝が政教分離規定に違反するところは全くない。

(二) 原告らの、憲法八九条、二〇条一項後段違反の主張について

本件公式参拝にあたり国費から支出された供花の代金三万円は、中曽根総理が戦没者追悼の気持を表すため供花を行うについて、花屋に支払うべき生花の購入代金として靖国神社に交付されたものにすぎず、その後、右代金三万円は、依頼の趣旨どおり、全額、靖国神社から花屋に支払われているのであるから、右支出は憲法八九条、二〇条一項後段に違反しない。

(三) 原告らの、憲法二〇条一項前段違反の主張について

憲法二〇条一項前段の保障する信教の自由に対して国家からの侵害があったといいうるためには、少なくとも『信教』を理由として、国家から具体的に不利益な取扱もしくは宗教上の強制が行われたことを要するところ、本件公式参拝は、その参拝に至る経緯及び目的、態様等に照らし、個々の国民に対し右のような不利益な取扱もしくは宗教上の強制を伴うものではなく、したがって、原告らとの関係においても、何ら原告らの信教の自由を侵害するものではない。

3  原告ら主張の被侵害利益(宗教的人格権等)の不存在

原告らは、本件公式参拝により宗教的人格権等が侵害されたと主張するが、原告らの主張する宗教的人格権等というものは、いずれも実定法上の根拠を全く欠くのみならず、そもそもその概念が極めてあいまいであり、具体的な概念、内容及び成立要件並びに効果等が不明確であって、到底権利保護の対象たりうる余地がないものである。

いま仮に、原告ら主張の宗教的人格権等を信教の自由の中に位置づけたとしても、それは、内心における信仰の自由に属するところ、このような信教(内心)の自由が侵害されたというためには、当該行為に何らかの強制的要素が存することが必要であるが、本件公式参拝はその目的態様等において強制の要素を伴うものではなく、したがって、この点においても、本件公式参拝が宗教的人格権等を侵害する余地はない。

4  原告らの、憲法違反即国賠法上違法の主張について

国賠法一条にいう『違法』とは、公務員が個々の国民に対して具体的に負担している職務上の法的義務に違背することである。これに対し、総理を含む国務大臣が国政上負っている政教分離規定を遵守すべき憲法上の義務は、その性質上、個々の国民に対して個別に負担するものではなく、主権者たる国民全体に対し政治的責任として負担しているものであり、したがって、本件公式参拝が憲法の政教分離規定に違反するということから、直ちに、それが国賠法一条の違法の評価を受けるに至るものではない。

そうだとすると、憲法違反があれば直ちに国賠法一条上の違法となるとする原告らの主張は失当である。

第三証拠 <略>

理由

一  中曽根総理が、昭和六〇年八月一五日、宗教法人である靖国神社に本件公式参拝をしたこと、その際、中曽根総理が公用車を使用し、拝殿で「内閣総理大臣中曽根康弘」と記帳し、続いて本殿に至り内陣に向って直立し、黙祷のうえ、深く一礼して退出したこと、祭壇には「内閣総理大臣中曽根康弘」と表示された生花一対が供えられ、公費から供花の代金として金三万円が支出されたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  また、<証拠略>によれば、原告らは、それぞれ浄土真宗の僧侶及びその信者、キリスト教の牧師及びその信徒、あるいは非宗教者(無神論者)であって、かねて、靖国神社の存在及び靖国神社と国家とがかかわり合うことについて批判的な立場をとってきた者であるところ、行政府の長である中曽根総理による本件公式参拝により、国家が靖国神社という特定の宗教を勧奨し、原告らの信仰(信条)に干渉したものと受け止め、右参拝に対し強い怒りと憤りを抱くと共に、戦前のように国家と神道とが結合して国民に対し国家神道を崇拝するよう強制したり、他宗教を圧迫したりすることが復活されるのではないかと、強い危惧を抱いていたこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  ところで、原告らは、中曽根総理の本件公式参拝により原告らの法的利益が侵害された、というので、以下、原告ら主張の法的利益侵害の有無について順次検討する。

1  まず、原告らは、憲法二〇条で保障される信教の自由の中には強制にわたらなくとも国家が特定の宗教を勧奨したりすることによって間接的に干渉されない自由も含まれるところ、中曽根総理が公用車を使用して本件公式参拝を行い、公費から供花料金三万円を支出したことは、国家が靖国神社を特別扱にしたものであって、憲法二〇条一項前段で保障されている原告らの信教の自由(信仰の自由)を侵害するものである、と主張する。

国家公務員(国家の機関)の行った宗教的活動が私人の信教の自由を直接的に侵害するときは、国賠法一条が規定する違法行為となり、国家は被侵害者に対し、その損害を賠償する責任があることはいうまでもないところ、ここに、信教の自由に対する直接的な侵害があったというためには、国家の機関によって信教を理由として不利益な取扱ないし宗教上の強制が行われたことが必要であって、仮に、国家の機関が宗教的活動を行ったとしても、右のような不利益な取扱ないし宗教上の強制が存しないときは、それは、信教の自由を直接侵害するものではなく、国賠法一条にいう違法行為に該当しないものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、中曽根総理の行った本件公式参拝は、原告らに対し不利益な取扱をなし、あるいは宗教上の強制をなしたものではなく、原告らの信教の自由を直接侵害するものとはいえないから、原告らの前記主張は採用できない。

2  次に、原告らは、本件公式参拝により原告らの有する宗教的人格権等が侵害された、と主張する。

しかし、原告らの主張する宗教的人格権等なるものは実定法上その根拠を欠いているのみならず、原告らが宗教的人格権等を侵害されたというものの内容とするところは、結局、前記二で認定したように、本件公式参拝により原告らが抱いた不快感、憤りや怒りあるいは戦前のような国家と神道の結び付き復活への危惧といった宗教上の感情にすぎないものであると認められるが、かかる宗教上の感情は主観的、抽象的なものであって、国賠法一条の対象となる明確な法的利益(権利)としては到底認めることのできないものというべきである。

すると、原告らの宗教的人格権等に関する主張も、理由がない。

3  最後に、原告らは、本件公式参拝により政教分離の原則が原告らに保障している法的利益を侵害した、と主張する。

しかし、憲法二〇条三項等の政教分離規定は、その規定上明白なとおり、国及びその機関が行ってはならない行為の内容、範囲を定め、もって、国家と宗教との分離を国家制度上保障することを直接の目的とし、その結果、私人の信教の自由を間接的に確保しようとしているものであり、したがって、私人の法的利益を直接保障承認するものではないと解するのが相当である。

そうすると、原告らの前記主張は、具体的内容に立入るまでもなく、理由のないものである。

四  よって、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 砂山一郎 松永眞明 村田健二)

(別紙)当事者目録 <略>

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